あの災害から10年が経過しました。
当時は北関東に在住していたので衝撃はTVを通してでしか知りえませんでしたがそれでもとても重大な事が起きていることはその映像から実感していたことを今でも覚えています。
20年11月13日に訪れた福島原第2原発周辺の浜辺。
原発は無事停止できたものの津波による被害は例に漏れず、10年近く経ったにも関わらずまだ復興の最中を感じました。
それはあまりにも静かな浜辺に象徴されていたのかもしれません。
本日は10年前の今日を思い出してみようと思います。大したことは書きませんただの備忘録です。
先程も書きましたとおり10年前は群馬県太田市に在住していましたが当日はなぜか埼玉県本庄市の会社の2Fにて設置作業をしていました。
お客さんと他愛のない話をしながら作業をしていた15時少し前、突然の大きな揺れ。
突発的な地震かなと軽く見ていたらいつまで経っても終わらず、体感1分程度で流石にこれは危ないとお客さんと共に外に逃げ出したことは今でも忘れません。
地震が収まり再度作業をはじめましたが情報を得ようとテレビをお客さんがつけるとそこには燃え盛る工業地帯(確か車が燃えていた)の映像。
次々と流される普段では絶対に見ない異様な光景にお客さんとともこれはただごとではないことはその時感じました。
作業が終わり会社に帰宅しようと車を走らせていると途中から信号が光を失っていることに気が付きました。どうやら地震による大規模停電があったようで5キロ程度交差点に差し掛かるたびに車を停止して通過していました。
その際、大渋滞でしたがみんなお互いの通行を交互に譲り合い事故もなく進んでいたことを覚えています。あのときはちょっと感動してしまいました。
会社には灯りが灯っており今日はもう帰宅するようにとの指示。
自宅も停電から免れていてずっと大震災アーカイブに収録されているような映像を見ながらSNSでやり取りをしていましたね。
その後は計画停電やらなにやらと東日本を中心に混乱の日々が暫く続くのですが今日は控えておきます。
ちょっと当時なにつぶやいていたか気になったのでTwitterの検索オプションを使ってみました
@アカウント名 since:20XX-XX-XX until:20XX-XX-XX
関西圏の友達から安否確認のつぶやきが結構ありますね。最近も秋田周辺でそこそこでかいのがあったときも心配して頂いたしこういう時、心にしみるねぇ
これから始める11年目、まだ復興は始まってすらいないのかもしれませんが一日でも早く人が安心して暮らせる場所に戻るよう祈っております。
遅くなりましたが皆様に向けて黙祷。